「ハーバード流交渉術 ●イエスを言わせる方法」 その1
こんにちは。齋藤です。
スーツの話は一休みして、今回は、「交渉」をテーマに書いていこうと思います。
弁護士は、「交渉」のプロです。
弁護士の仕事の中で、「交渉ごと」が絡まないことのほうが少ないと言え、日常の業務において、常に何らかのことで誰かしらと「交渉」を行っているのが弁護士です。
弁護士としてある程度の経験を積んでくると、自分の中で、一定の「交渉の型」みたいなものが定まってくるように思われます。
自分がこう述べたら相手はこう返してくるだろう、それに対してはこう返そう、そしたら相手はこう出てくるだろう、というように、ある程度の筋道くらいは見えるようになります。それは、法的な知識に一定の経験則をミックスしたような、「経験知」というべきものです。
しかし、実は、弁護士は、「交渉術」のトレーニング・訓練など受けてはいません。
あくまで、日々の仕事・実戦の中で、OJTで学んでいるにすぎず、例えば司法修習生の折にカリキュラムが組まれていて体系的に「交渉術」を学習した、というわけではないのです。
ただ日々の業務の中で常に何らかの交渉ごとと接しているため、スキル・経験値が蓄積されているにすぎず、ここにおいて、日々何らかの交渉ごとがあるビジネスパーソンと、その知識・ノウハウのレベルにおいて差はないといって良いでしょう(もちろん法的紛争以外の領域における交渉においては、バリバリのビジネスマンとでは、戦力において見劣りすることは認めざるを得ません)。
これは、我々弁護士が、法学部・法科大学院(ロースクール)・司法修習において、法的知識と法律文書の書き方を長い時間を書けて叩き込まれていること対照的です。
そうした技術の習得に費やされた時間と比較すると、「交渉術」の習得にあまりに時間が割かれていないのです。
その理由を、私なりに考えますと、これまでは、弁護士というものが書面で相手を説得する仕事だと捉えられてきたからだと思われます。
つまり、相手方と口頭で交渉するテクニックよりも、優れた書面を書くテクニックのほうが重要だと考えられてきたわけです。
このことは、なんだか、以前の中学・高校の英語学習に似ています。すなわち、文章の読み書きに重きが置かれ、リスニング・スピーキングというオーラルな部分が重要視されていなかった。
しかし、現代はそういう時代ではありません。ビジネスの現場で英語での会話が求められるように、弁護士も、裁判外で、ビジネスの場面で、書面ではなく口頭で相手方とハードネゴをしなければならない、そういう時代です。
このように、弁護士も、「交渉術」を体系的に習得する必要性が高まっている、そんな中で今回とりあげるのが、
この「ハーバード流交渉術」
(フィッシャー&ユーリー 金山宣夫 浅井和子訳 三笠書房 1990年1月刊)です。
文庫版が出たのが1990年 30年も前。まさに「時の洗礼を受けた知識」と言えるでしょう。
前置きが長くなりましたが、さっそく本文を見ていきたいと思います。
●「あらゆる状況を打開するハーバード流交渉術」
・序
まず、本書で取り上げる「交渉」とは、何もビジネスの場に限られません。
「夕飯をどこで食べるか妻と夫が話し合うのも交渉の一種だし、子供と寝る時間について話すのも交渉に違いない。」
「交渉とは、他人への要求をなるべく通そうとするときに用いる基本的手段である。別の言い方をすれば、共通する利害と対立する利害があるときに、合意に達するために行う相互コミュニケーションである。」
これが、本書における「交渉」の定義です。
そして、本書では、
ソフト型交渉:「個人的な対立を避けたいので、合意のために進んで譲歩する。友好裏に合意に達することを望んでいるのだが、結局利用され、苦々しい気分になることが多い。」
と
ハード型交渉:「どんな状況も意志比べであり、極端な立場を、より強情に維持するほうが得であるとみている。しかし、強引な態度は同じく強引な反応を呼び、当人もその反応に消耗し、対策も枯渇してしまう。また交渉相手との関係も悪化する。」
とを区別します。
そして、ハーバード大学交渉学研究所で開発された「ハーバード流交渉術」を、「原則立脚型交渉術」とし、ソフト型でもハード型でもない交渉方法であるとしています。
これは、「双方の主張の利点に焦点を合わせようとするもの」で、「できるだけ共通の利益を見出し、利害が衝突する場合は、どちら側の意志からも独立した公正な基準に基づいて結論を出すことを勧める」というものです。
そして、「この方法は、計略的でないし、当事者を身構えさせることもしない。また、正当な要求を通すのに、汚い手口を使わないで済む。公正な立場をとりながらも、それを相手に利用されるのを防ぐ」という面で優れているといいます。
・「駆け引き型交渉」
「双方ともそれぞれの立場に立ってその正当性を主張し、状況により多少の譲歩をして妥結するというのが」、典型的な「立場駆け引き型交渉」です。
例えば、骨董品の真鍮の皿について
客:いくらですか。
店主:75ドルです。
客:ここにへこみがあるから15ドルですかね。75ドルなんてとんでもない。
そもそもそんなに手持ちがありませんよ。
店主:本気でお買いになりたいというのなら、勉強して60ドルで結構です。
客:60ドルでも高すぎる。20ドルなら出してもいいですよ。
店主:それじゃお話になりません。仕入れには30ドル以上かかっているんです。
客:35ドル、これが限界です。
このようなやりとりによる駆け引きが延々と続きます。
これが立場駆け引き型交渉です。一連の立場を次々に示しながら、相手の出方に応じてそれを少しずつ引っ込めていくという過程をとります。
このようなやり方では、うまく話がまとまるかもしれませんし、まとまらないかもしれません。
通常、「交渉」とは、こうした駆け引きを行うことだと考えられています。
実際、このように、お互いの立場を主張し合って、結局両者の当初の主張の中間地点に落ち着かせることはよく行われているといえます。
弁護士同士のようなプロ同士の交渉でも、結局はこのレベルの交渉方法、すなわち、とりあえず極端な主張をしておいて、相手の出方をみて小刻みに譲歩し、双方の主張の中間点で妥結する、というようなやり方がとられることは少なくありません。
そこで用いられる技術は、家電量販店で、車のディーラーで、商品を値切る際に用いられる手法と大差はないわけです。
しかし、こうした立場駆け引き型交渉には以下のような短所があります。
・自分の立場に固執してしまい合意が遠のく
「交渉者が立場をめぐって駆け引きするときは、一旦出した自分の立場に縛られ、かえって身動きが取れなくなるもの」だと言います。
「自分の立場を明らかにすればするほど、また相手の攻撃をかわして自分の立場を守ろうとすればするほど、ますます引っ込みがつかなくなる。こちらの立場を変えることができないことを相手に信じ込ませようと努力すればするほど、信じてもらうのが難しくなる。」「今度は、自分の面子を保つこと、つまり今まで言ってきたことと、これから言うことの辻褄を合わせるのに固執するようになり、当事者の元来の利害を賢明に調整して合意を成立させる可能性はますます小さくなっていく」というわけです。
例えば、上述の真鍮の皿の場合、客が、駆け引きとして、「今、手元に40ドルしか持ってないんですよ」と言ってディスカウントを求めたとします。そうすると、その言葉が自らを縛り、45ドルで合意することが出来なくなってしまいます。
さらに、そのような客の発言を聞いても、エビデンスがない以上、店主はその発言を信じることなどできません。
そして、「仮に合意が成立したとしても、当事者の正当な利益を満足させるよう慎重に練り上げられた解決ではなく、単に当事者の最終的な立場の相違を足して二で割ったような、機械的なものになる」と言います。
結局のところ足して二で割るような結論になることを最初から見越して、最大限譲歩できる金額からある程度自己に有利な主張を最初にしておく、という手法も良くとられがちです。
例えば、上述の真鍮の皿の場合、客が50ドルまでは出していいと考えているとすると、店主の75ドルという価格を受けて、とりあえず25ドル、と主張してみるような手法です。
しかし、この場合、25ドルの主張には、(75+25)÷2=50になるということ以外に根拠はないため、主張に正当性を欠きます。
・時間と労力がかかる
「立場をめぐっての駆け引きでは、交渉者はまず極端な立場を示し、かたくなにそれに固執し、自分の本音を知られないよう相手方を欺き、そして交渉を続行するのに必要な限度でささやかな譲歩をする、というやり方で、どんな結果になってもとにかく自分に有利になる可能性を高めようとする。相手方も同じ戦法をとる。そしてこうした要素の一つ一つが迅速な解決を妨げがちである。当初の立場が極端であればあるほど、そして譲歩が少なければ少ないほど、合意ができるかどうかの見通しを立てるために時間と労力がかかる。」
また、「交渉者がそれぞれ何を提案し、何を拒否し、そしてどの程度の譲歩をすべきかについての決定を下すので、個別的には大変な数の決定が必要となる」ため、あまりに時間がかかりすぎます。
一つ一つの決定が相手方への譲歩を意味しますので、迅速に行動して特になる理由は何もありません。
こうして、交渉はブレイクだと言って脅したり、といったお決まりの戦術をとることになるわけですが、そういったことは、何の合意にも達しないという危険性を高める上、合意に達するための時間と費用を増やすことになり極めて不経済なのです。
例えば、上述の真鍮の皿の場合であれば、双方が金額を小出しにしていくため煩瑣ですし、客が、一旦帰るふりをしたりといろいろな小芝居をうったりするため、合意に至るまでに非常に時間がかかるわけです(中東などで土産物を買おうとすると、一事が万事このような交渉というか儀式を経るため、かなり消耗してしまいます)。
・相手の中に敵意を芽生えさせる
「立場駆け引き型交渉は意志のぶつかり合いである。それぞれの交渉者が、何をするとかしないとかで我を通そうとする。」「それぞれの側がむき出しの意志の力によって相手の立場を変えさせようとする。」相手の強硬な意志に屈していると思うと、怒りと敵意が残る。「こうして立場をめぐる駆け引き型交渉は当事者間の関係を緊迫させ、時にはそれを破壊してしまう」といいます。
例えば、上述の真鍮の皿の場合であれば、店主は、客に対し、そんなに安く値切ろうとしやがって失礼なヤツめ、と考えるでしょうし、客は、店主に対し、こんな皿に75ドルなんて吹っ掛けてきやがって、と憤ることになるわけです。
・ハード型VSソフト型ならハード型が勝つ
上述のような短所をクリアしようとソフト型交渉、すなわち、関係の樹立と維持に重点を置き、譲歩し、相手を信頼し、友好的にふるまうことを選択した場合、ハード型交渉者に付け込まれやすくなってしまうといいます。
もしハード型交渉者が譲歩を迫り、脅しをかけてきた場合、ソフト型交渉者は衝突を避けるために譲歩せざるを得ず、ハード型交渉者に一方的に有利な展開になってしまいます。
・ハーバード流交渉術とは
このような立場駆け引き型交渉に代わるべきものとして開発されたのが、ハーバード流交渉術です。
この方法は、「原則立脚型交渉」であり、次の4つの基本的な視点に集約できます。
① 人:人と問題とを分離せよ
② 利害:立場ではなく利害に焦点を合わせよ
③ 選択肢:行動について決定する前に多くの可能性を考え出せ
④ 基準:結果はあくまでも客観的基準によるべきことを強調せよ
①について、立場を表明すると、感情やエゴが一体化してしまい、立場への固執や相手への敵意から合意が遠のきます。ですので、「互いに相手を攻めるのではなく、一緒に問題を攻めるのだという見方ができるようにすべきである」ということになります。
これによって、交渉相手と敵対するのではなく、人間として共感をもって触れあうことを目指します。
②について、立場の攻防に交渉の焦点を合わせると、利害を満足させるという交渉本来の目的がおろそかになります。交渉上の立場は、交渉者が真に何を欲しているのかを不明瞭にしてしまいがちです。そこで、利害に焦点を合わせる必要があります。
③は、緊迫した状況の中で最善の解決案を考え出す方法を示唆するものです。一つの決定をする際には、様々な可能性について検討する時間をしっかり設けるという教えです。
④は、市場価格、専門家の意見、慣習、法律といった公平な基準によって結論を出す、ということです。
ただただ己の主張を押し通すことで有利な結果を得ようとする目論見に対し、何らかの公平な基準に基づいた決定を促すことになります。
以上が「ハーバード流交渉術」の基本的な視点です。
いかがでしたでしょうか。
通常行われている「立場駆け引き型交渉」がいかに非効率的なものかがわかったかと思います。
しかし、交渉とはそういうもので、結局、交渉がうまいというのは、口が達者か、あるいはトランプ大統領のようにひたすらデカい態度で押し切ってしまうことだとお感じの方も多いかと存じます。
「ハーバード流交渉術」は、そうした交渉方法のゲームチェンジを図ろうとするものです。
次回以降で、「ハーバード流交渉術」を用いて、現実的な交渉の場でどのようにふるまうべきかを具体的に見ていくことにします。