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カテゴリー: その他
2021-12-15

自己責任論

こんにちは。齋藤です。

理不尽な現実を突きつけられたとき、誰かのせいにしたくなる人情は、私たちの中に変わらず(魔女狩り・異端狩りの嵐が吹き荒れた中世ヨーロッパと同様に)ある。
その現代版が「自己責任論」ではないだろうか。
正社員になれないのは努力不足だから。
コロナにかかるなんてちゃんと予防をしていなかったに違いない。
土砂崩れが起きるような危ない場所に住むのは情報収集を怠っている。
詐欺にあうとは騙される方も悪い、等々。
あらゆる不運を当事者の責任とみなす空気が漂う。
努力と意欲さえあればなんでも解決できる。そんな論法には当世風の呪いの気配がある。

↑↑↑2021年12月10日の日経新聞「春秋」からの抜粋です。

構造的・社会的な問題を自己責任の一言で片づける風潮が「想像力の欠如以外の何ものでもない」、というのはその通りだと思います。

上記引用のように、第三者が、「自己責任」を持ち出して、苦境にあえぐ者を切って捨てようとする理屈は、あまりに愛がありません。これは、悪しき「自己責任論」と言えます。

他方で、善き「自己責任論」もあるのではないかと思います。

どうにもならない出来事について、他人のせいにするのではなく、そのような結果を生んだのは自分自身の行動や決定の帰結だ、と捉えること、これを善き「自己責任論」と呼びたいと思います。

悪しき「自己責任論」との違いは、他者が当事者に対して「自己責任だから我慢しろ」というのか、自分自身で「自己責任だからこうなってしまったのは相手のせいだけではない」と思うのか、ということです。

例えば、離婚の際、配偶者を声高に非難するだけではなく、そのような配偶者の選んでしまった自分にも非がある、と考えること、
遺産相続の争いの際、兄弟を声高に非難するだけではなく、兄弟とのいさかいが産まれ、それを解消できなかった自分にも非がある、と考えることは、相手方を憎み、相手方をより不利な立場に追いやろうとすることよりもよほど建設的な考え方だと思うのです。

弁護士として仕事をしていて日々思うことは、理不尽な現実を突きつけられたときに自分自身を慰め、前を向く力をくれるのは、上記のような善き「自己責任論」ではないかということです(というより、自分にも非がある、とでも思わなければ、際限のない他責思考に堕ちてしまいはしないかと危惧するところです)。

弁護士は、法律に照らし、主に金銭的な観点から、起こってしまった出来事について、相手方に義務を履行させ、あるいは責任を追及することは出来ます。
他方で、法律によっても実現できないことはどうすることもできず、まして、起こってしまった出来事を元に戻すことなどできるはずもありません。
さらに、苦境に立たされている方にそうした苦境から抜け出すための力を授けることもできません(少なくとも私にはできませんし、それが可能な弁護士は多くはないでしょう)。
そうした苦境から己を救えるのは最終的に自分自身しかおらず、弁護士にできるのは、依頼者が自ら立ち上がろうとすることに微力ながら手助けをすることだけです。

その際の考え方として、上記のような善き「自己責任論」が少しくらいは役に立つのではないかと愚考する次第です。

当事務所に相談に来られる方の中にも、起こってしまった理不尽を前に、他責思考に凝り固まった方を多く見かけます。
誰しも聖人君子ではありませんので、これはある意味当然のことと言えます。
しかし、仕方がないと言って他責思考に漬かっていては、解決するものも解決しないように思えてなりません。
そのようなときは、一度見方を変えてみてはいかがかと思うのです。

本当の苦境に立ったことのない人間のたわごとではありますが、ご参考になれば幸いです。

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