あしかけ8年 VS近江八幡市訴訟の顛末記
こんにちは。齋藤です。
最高裁判所から上告を受理しないという通知を受け取ってから10日ほどが経ちましたが、まだ現実を受け入れることができません・・・
近江八幡市に対する損害賠償請求訴訟です。
平成27年(2015年)6月に訴訟を提起し、今年であしかけ8年になります。
最高裁での審理の可能性に一筋の光明を見出していたのですが、願いは届かず、上告は受理されませんでした・・・
「本件を上告審として受理しない」とのA4の決定調書一枚で、長年にわたる闘いは唐突に終わりを迎えました・・・
本訴での勝利を心待ちにしていた依頼者(原告)のことを思うと、このような終わり方になってしまったこと、無念というほかなく、また、力不足を恥じるほかありません。
平成30年11月、大津地裁において勝訴判決を得たのですが、令和3年3月、控訴審の大阪高裁で逆転敗訴し、令和4年3月、最高裁への上告が受理されなかったため大阪高裁判決が確定しました。
本稿では、第1審と控訴審の判決について再検討しつつ、本件を総括したいと思います。
(※ご依頼者のご承諾のもと掲載しております。)
事実の概要
原告は、交通事故により高次脳機能障害等を負って重度の障害を有するに至りました。
当該交通事故によって、保険会社から原告に対し1億円以上の損害賠償金が支払われることになったのですが、そのお金のうち、およそ4000万円を事故後に原告と結婚した妻及びその両親らが原告に無断で費消してしまいました。
ここで、原告は、平成24年7月以降、複数回にわたって近江八幡市役所障害福祉課を訪れ、妻から虐待(身体的・心理的・経済的虐待)を受けていると相談し、近江八幡市は、原告やその家族らと継続的なかかわりを持つようになっていました。
近江八幡市は、原告の虐待の訴えをうけ、原告を一時保護しはしましたが、他方で、原告が述べる経済的虐待について事実確認を行うことはありませんでした。
さらに、原告の通帳の写しから、近江八幡市担当者は、妻が継続的に原告の口座から多額の出金をしており、このまま放置すれば原告の財産がさらに目減りしていくであろうことは認識していましたが、妻が原告の口座から出金している事実を原告に伝えることすらしませんでした。
こうした近江八幡市の不作為により、妻による虐待(もっぱら経済的虐待)が放置され、数千万円にのぼる損害を被ったことについて、原告が近江八幡市に対してその損害の賠償を求めたのが本訴です。
↑↑↑滋賀有数の観光地である近江八幡市・八幡掘の風景
風光明媚なこの土地で本件は起こりました。
第1審の経過
2015年6月の提訴からおよそ3年半が経過した平成30年11月、大津地方裁判所の判決が示されました。
第1審は原告側勝訴となりました。
正直に言って、第1審の審理の大半を私一人で訴訟を追行していたこともあって、当初はロジックが洗練されておらず、審理の後半までは劣勢・ジリ貧感が否めませんでした。
他方で、法テラス時代の先輩である稲田弁護士に加勢を頼んだことで理論武装でき、押し返すことができました。
最終的には、近江八幡市役所の職員の証人尋問で雌雄が決しました。
証人尋問で逆転した経験は後にも先にもこの時だけです。
大津地方裁判所は、近江八幡市が、原告への経済的虐待と、原告の口座からの出金を放置すれば原告の財産がさらに失われることを認識していたことを認めた上で、近江八幡市は、「原告との関係で、原告に対し、本件口座の出金状況及び残額を伝え、本件口座の管理についての意向を確認した上で、原告に依頼することで本件口座からの出金を停止できる旨教示し、原告がこれを希望した場合には、そのための助力を行うという措置を講じるべき職務上の注意義務を負っていたにもかかわらず、これを怠ったと認められる」として、国家賠償法上の違法を認めました。
行政が経済的虐待を認識しつつ、これを放置することは、障害者虐待を受けている障害者との関係で違法となる、という、いわば当然の事柄が確認されたわけですが、行政の動きの遅さ、腰の重さを正面から司法が咎めた本判決は、障害福祉実務に少なからぬインパクトを与えるものでした。
第1審判決(大津地裁平成30年11月27日判決)の要旨
● 経済的虐待について、近江八幡市は、遅くとも平成26年1月までには妻が口座から多額の出金をしており、このまま放置すれば原告の将来の生活費に充てるべき金銭が散逸されてしまう危険が現実に差し迫った状態であることを認識していた。
●近江八幡市は、原告に対し、口座からの出金状況及び残額を伝え、本件口座の管理を元妻に任せたままでよいのか確認した上で、銀行に依頼することで本件口座からの出金を停止できる旨教示すべきであったのに、これを怠った点に違法性がある。
第1審判決のポイント
① 経済的虐待防止の対応を怠った市の責任を認めた初の判断
② 障害者虐待防止法に基づく義務の違反を認めた初の判断
③ 行政による不作為の違法を認めたレアなケース
控訴審の経過
敗訴した近江八幡市が控訴し、原告側も附帯控訴するかたちで審理の場が大阪高裁に移りました。
原告側は、第1審の稲田弁護士・齋藤の両名に、大阪弁護士会の青木弁護士、小山弁護士、松尾弁護士、兵庫県弁護士会の三好弁護士を加えて弁護団を結成し、陣容に厚みを持たせました。
齋藤はともかくとして、他の先生方はいずれも劣らぬ高齢・障がい分野のエキスパートであり、陣容の充実ぶりに私は「これで勝てる!」と内心ほくそ笑んでおりました。
しかし、裁判期日において裁判長の発言から受ける印象は全く楽観できるものではなく、むしろ、原告側に厳しい判断が下されるのではないか、という不安が高まっていくような状況でした。
そして、近江八幡市役所の課長の証人尋問で、不安は確信に変わりました。
裁判長からの補充尋問は、近江八幡市側を勝たせるための材料探しのように思われたからです。
コロナ禍で裁判の日程が延期になるなどの混乱もあり、控訴審も結審までに長期間を要しました。
結局、平成30年12月の控訴から、およそ3年が経過した令和3年3月、大阪高裁判決が下され、控訴審では一転、原告の逆転敗訴となりました。
控訴審判決(大阪高裁令和3年3月26日判決)の要旨
●障害者虐待防止法に基づく市町村の権限の行使については、当該市町村(の担当者)の専門的な知識と経験に基づく裁量判断にゆだねられていること等を考慮すると、市町村の障害者虐待防止法に基づく措置や指導等の権限を行使しなかったことによって障害者の生命、身体等に損害が発生した場合であっても、直ちに国家賠償法1条1項の適用上違法と評価されるものではなく、障害者虐待防止法の目的及び市町村に付与された権限の性質等に照らし、その権限の不行使がその許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときに初めてはじめて、その不行使が違法となる。
●原告の口座の預金の原資である交通事故の損害賠償金は、原告に帰属する財産であるものの、原告の妻と子を含めた原告の世帯の生活費に充てられるべきものということができるのであって、妻が本件口座を管理し、妻自身や子のために浪費にわたるような支出を繰り返したからといって、そのこと自体が原告の尊厳を害する面があるとしても、それによって原告の介護費用を含めた生活費に支障が生じる等の場合でない限り、少なくとも原告が妻による財産の不正取得によってその生活や介助、介護に支障が生じるなどの重大かつ深刻な虐待を受けていると直ちに評価することはできないというべきである。
●そうである以上、近江八幡市が原告の通帳を確認し、口座預金の費消の状況を把握したとしても、その時点で、原告が妻やその親族からその生活や介助、介護に支障が生じるなどの重大かつ深刻な経済的虐待を受けているとの合理的な疑いを生じさせるに足りるものということはできず、よって、近江八幡市が経済的虐待を防止するための措置を講じなかったとしても、障害者虐待防止法の目的及び近江八幡市に付与された権限の性質等に照らし、その許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くということはできない。
控訴審判決のおおまかなロジック
要するに
障害者虐待防止法の趣旨等からすると、行政の権限不行使が著しく合理性を欠く場合にはじめて当該権限不行使は違法となる。
↓
どのような場合に「著しく合理性を欠く」とされるかというと、経済的虐待の場合、「生活や介助、介護に支障が生じるなどの重大かつ深刻な虐待」を放置してはじめて権限不行使が違法となる。
↓
本件において、原告に対する経済的虐待は、「生活や介助、介護に支障が生じるなどの重大かつ深刻な虐待」ではない。
↓
よって、近江八幡市が経済的虐待について対応を行わなかったとしても違法ではない。
というロジックです。
控訴審判決の問題点(上告趣意)
生活や介護に支障が生じる=生命身体の安全が脅かされる、というレベルまで使い込まれることを放置してはじめて違法になる、という判断枠組みのおかしさ。
上記の通り、大阪高裁のロジックは、権限不行使が著しく合理性を欠く場合にはじめて行政の権限不行使は違法になる、という命題のもと、著しく合理性を欠く、とは、「生活や介助、介護に支障が生じるなどの重大かつ深刻な」経済的虐待を放置した場合をいうのであり、本件はそのレベルには当たらない、というものでした。
ここで、上記の大阪高裁のロジックは、たとえば、京都府宅建業法事件における宅建業法のように、企業に経済活動の自由がある中で、行政が規制権限を好き勝手に行使するわけにはいかないという前提のもとで規制権限の不行使の違法性を論じる際の判断枠組みに親和性があるものと言えます。
他方で、本件で問題となっている障害者虐待防止法は、虐待をしている養護者等に対して規制を課すことによって障害者を保護しようとするものではなく、宅建業法のような業者を規制するための法律(いわゆる業法)とは目的や趣旨を異にします。
障害者虐待防止法は、市町村が直接的に、虐待防止・障害者救済のための対応として各種権限行使を行うことで、直接的に障害者の利益を保護しようとするものですので、むしろ、筑豊じん肺訴訟や水俣病関西訴訟、泉南アスベスト訴訟など、生命・健康という重大な法益が問題となっていたケースに引き付けて捉えられるべきであり、そのような観点から、上記の各判例で用いられた、「適時適切性」の観点から、権限の不行使が著しく合理性を欠くものであったか否かが判断されるべきだったと考えられます。
さらに言えば、「生活や介助、介護に支障が生じるかどうか」という判断枠組みは、要は虐待を受けた障害者の名義の財産がどれだけ残っているか、で判断するというものです。
お金がどれだけ残っているかがメルクマールになるのであれば、1億円の預金がある人が9900万円使いこまれても100万円残っていれば、「生活や介助、介護に支障が生じる」わけではないから違法ではない、との結論になりかねません。
逆に、30万円の預金しかない人であればどうなのでしょう。
使い込みが発覚した時点で速やかに対応しなければ「生活や介助、介護に支障が生じる」事態となり、直ちに違法と判断することになるのでしょうか。
このように、使いこまれた金額の多寡によって判断することには限界があると言わざるを得ず、やはり、「生活や介護に支障が生じるほどかどうか」ではなく近江八幡市が権限を「適時にかつ適切に」行使したかどうか、という枠組みで判断すべきだったものと思われます。
経済的虐待の有無の認定を巧妙に避けたテクニック
大阪高裁の判決文を読んでみても、本件において原告に対し経済的虐待がなされたのか否かについては巧妙に明言を避けられており、裁判所がどちらと考えていたのかはわかりません。
上記の大阪高裁のロジックからは、「生活や介助、介護に支障が生じるなどの重大かつ深刻な」経済的虐待の有無を検討しさえすれば良く、経済的虐待があったかなかったかを検討する必要はないからです。
経済的虐待があったと明言してしまうと、それでもなお権限を行使しなかったことが違法ではないとすることは若干苦しくならざるを得ないわけで、行政側を勝たせるという結論のもと、とても精緻に議論が組み立てられているというほかなく、改めて高裁の裁判官の起案のテクニックに舌を巻きます。
本件における数千万円の費消は「重大かつ深刻」な虐待ではないのか?
仮に高裁の判断枠組みが正しいとしても、はたして本件の原告への経済的虐待は「重大かつ深刻」ではなかったのでしょうか。
本件では原告は8000万円以上のうち、およそ4000万円を使いこまれたわけですが、あと4000万円残っているから「生活や介助、介護に支障が生じる」わけではない、だから「重大かつ深刻」な虐待とは言えない、と言われると、納得するのは困難です。
まして、本件で原告が使いこまれたのは、これから原告が残りの人生を生きていくうえで欠くべからざる交通事故の保険金でした。
家族だから妻はある程度原告のお金を浪費しても虐待にはなりにくい、という考慮が働いていたのであれば、それは上記の障害者虐待防止法の経済的虐待の定義には真っ向から反する理解です。
最大の問題点
あえて上告受理申立書の文言をそのまま引用しますが、
原判決が述べるように、相手方障がい福祉課に広汎な専門的裁量があったのであれば、その専門性は、障がいのゆえに自らの権利を脅かされ、奪われている障害者本人の尊厳と自立を確保するために、知見や経験を総合して、積極的に調査や権限行使等を行うことにこそ用いられねばならないのであって、そのことを障害者虐待防止法は市町村に求めている。
にもかかわらず、相手方障がい福祉課は、重い障害を負って判断能力が低い申立人の離婚についての言動といった、虐待対応の専門的知識を有していればおよそ過度に重視すべきでない事情をことさら斟酌しつつ、そうした専門性を発揮することもなく、事態を座視したが、原判決は、こともあろうか、法の趣旨に背いたかかる極めて消極的な姿勢を、「専門性」に基づく広汎な裁量の名のもとに免罪してしまっているのである。
かかる解釈は、もはや行政便宜主義の誹りを免れ得ず、許されるものではない。
この点は、本件において最大限強調されるべきポイントであったのですが、最高裁には届きませんでした。
敗因の分析
上告が受理されなかったことで、控訴審の大阪高裁判決が確定することになりました。
他方で、仮に近江八幡市の責任を認めない、と結論するにせよ、障害者虐待防止法という新しい法律に関する議論である以上、最高裁には上記のような控訴審判決の問題点と向き合ってもらい、最高裁としての判断を下してもらいたかったものです。
今言ってももはや詮無いことですが、控訴審の逆転敗訴がすべてだったことになります。どうしようもない部分ではありますが、もう少しリベラルな部に係属していれば結果は変わっていたのではないかと悔やまれてなりません。
緻密な大阪高裁判決から見れば、大津地裁判決は粗さが目につきます。他方で、大津地裁の結論自体が間違っているとは全く思えません。
どちらを勝たせるべきかということに、これほど裁判官個人のカラーが色濃く反映される事件も少ないのではないでしょうか。
他方で、敗因を係属部のせいにすることもまた、弁護士の力量不足を棚上げする行為です。
本件当時、原告が経済的虐待を受けていたことは近江八幡市の職員からは一見して明らかだったはず、ということをもっと裁判官に伝えることができていれば、政治信条等の垣根を超えて、控訴審勝訴に持ち込めたのではないかとの後悔は消えません。
これだけは言いたい。違法ではない=適切な対応だった、ではない。
本件において、近江八幡市がとった対応は国家賠償法上違法ではなかったとの結論が確定しました。
他方で、違法ではなかったにせよ、適切とは決して言い難いものであったわけで、これだけは勘違いされては困る部分であります。
国家賠償法上違法ではないとされたからといって、対応に問題がなかったことのお墨付きが得られたわけでは決してありません。
障害者虐待防止法施行当時とはいえ、本件における近江八幡市の対応は、2022年現在では考えにくいほどイマイチなものでした(敗訴したため、批判のトーンは落とさざるを得ませんが)。
本件では、原告の虐待の訴えを虐待の訴えとして取り扱い、原告がいう虐待に関する事実確認を適切に行い、また、家庭裁判所が妻でなく専門家後見人を選任し、近江八幡市が家裁と連携を取り合うなど、現在多くのケースで行われているような体系だった手続がしっかりと履践されていればこれほどの被害額にはならなかったのではないかと思えてなりません。
本件訴訟が、各市町村における虐待対応の改善につながることを願ってやみません。
さいごに
最終的には敗訴が確定してしまったものの、第一審では一部勝訴を勝ち取り、また、控訴審においても充実した主張・反論を行うことができたのは、ひとえに弁護団の先生方のおかげであり、未熟な私を叱咤激励して頂くことでなんとか上告審への望みをつなぐことができました。
また、上告受理申立書の作成にあたっては、複数の大学教授の先生方にもお力添えを賜り、深く御礼申し上げます。
さらに、福岡弁護士会主催「あいゆう研修」(mikanlaw.jp/2021/11/28/1899)でも本件を取り上げて頂いたにもかかわらずご期待に沿えなかったこと、ここに深謝いたします。
このような充実した陣容にもかかわらず、最高裁での審理にまでもっていくことができなかったことは、ただただ私の力不足ゆえであり、大変情けなく、また、原告ご本人にも合わせる顔がございません。
本件を通じて、僭越ながら、私もこの弁護士という仕事についてほんの少しくらいは理解できたような気もいたします。
間違ったことは至るところで、自覚的にあるいは無自覚に行われており、そのことについて声を上げたとしても救いがあるとは限らない(むしろ、ないことの方が多い)、それでも、その先にいつか間違いが正される可能性があるなら、声を上げ続けなければならない・・・
当然ではございますが、今後とも、あらゆる意味で弁護士としての腕を磨き、自己研鑽に努めることを誓いつつ、締めくくりとさせて頂きます。