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2020-12-17

自由への手紙(オードリー・タン)を読んで

こんにちは。齋藤です。

 

●コロナによる社会の変容

年の瀬も迫ってきておりますが、コロナウイルス感染拡大によりこれまでのような穏やかな年末年始というわけにはいきそうにありません。

 

飲食業や小売業、観光業が苦戦を強いられているのはもとより、製造業やエネルギー関係、不動産業、金融業等従来からの業種の業績は軒並み低迷しており、不景気の影が我々の生活を覆っていることを毎日実感せずにはいられません。

他方で、GAFAに代表されるテック企業はこの状況下をさらに追い風にして圧倒的な業績を上げており、時代の流れ・ビジネスの形の変化はもはや誰の眼からも明らかと言えるでしょう。

 

そのような時代の流れ・ビジネスの形の変化はもちろん我々弁護士業界にも押し寄せてきており、ここ30~50年にわたってそれほど大きな変容を迫られることがなかった従来の「弁護士」像が、まさに今、転換点に差し掛かっているように思われてなりません。

 

このような時代の変化・業界の変化に戸惑いを感じ、果たして自分は激変する社会で時流を掴まえて生き残ることができるのか、それどころか数年後に食いっぱぐれることになりはしないかと自問し、不安を覚えているのはひとり私だけではないはずです。

ポストコロナに備えなければと考えつつ、何をすればよいのかわからないまま様々な情報に飛びつき、流され、やはり何らの手ごたえもつかめずもがいているのは私だけではないはずです。

 

そんな中、手に取ったのは、「自由への手紙」(オードリー・タン[語り] 講談社 2020年11月)です。

 

 

 

●オードリー・タン略歴

オードリー・タンは、今回のコロナ禍において、台湾政府のデジタル担当大臣として新型コロナウイルス感染症の対策にあたり、薬局など各販売店のマスク在庫がリアルタイムで確認できるアプリ「マスクマップ」を導入し、いち早く台湾でのコロナウイルス感染拡大を食い止めたとして、一躍時の人となりました。

 

オードリー・タンについて、本書の著者来歴によりますと、「IQ180」とされ、

「8歳から独学でプログラミングを学び」

「14歳で中学を自主退学。15歳でプログラマーとして仕事をはじめ、16歳で台湾のIT企業の共同経営者となり、19歳にしてシリコンバレーで起業。」

「24歳でトランスジェンダーであることを公表し、女性へと移行する“第二の思春期”を迎える。」

「27歳にしてシリコンバレーのSocialtext社創業メンバーとなり、台北でリモートワーク。」

「33歳でSocialtext社を売却、ビジネスの世界から引退する。その後、顧問を務めたAppleで人工知能Siriのプロジェクトに加わる。」

「35歳という史上最年少の若さで蔡英文政権に入閣、デジタル担当政務委員(大臣)に就任。」

「2019年、アメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』のグローバル思想家100人に選出される。」

とのことです。

 

IQ180というとんでもない頭脳だけでなく、ビジネスセンスも併せもち、さらにトランスジェンダーを公表する一方で、若くして大臣となるなど、まさに時代の寵児であり、加えて「思想家」と表現されるほどの哲学的・文化的・宗教的バックボーンを持ち、もはや「政治家」などの一言で言い表すことのできない、まさに現代の巨人です。

 

時代を見通す眼を持つであろう人間の考え方に触れることで、この時代、この状況下で何をすべきなのか、何ができるのかについてのヒントがもらえればとの思いで本書を読み始めました。

 

本書は、オードリー・タンへのインタビューを文字に起こしたものですが、同氏の思想・考え方がわかりやすく示されており、サッと一読することができます。

 

本書は4つのチャプターと17の章から成っているのですが、このうち、最後のChapter4「仕事から自由になる」のうちの「スキルセットから自由になる」という章を読んで、私なりに考えたことを書いていきたいと思います。

 

 

●「スキルセットから自由になる」

この章のタイトル、「スキルセットから自由になる」というのはどういうことでしょう。

ここでは、主に、AIやロボットが、従来のスキルセットを陳腐化してしまった場合、人々はどのように振る舞えばいいか、が述べられています。

 

スキルセット」とは、本書巻末の用語集の定義によると、「仕事に必要な一連の専門知識と専門技術を表すIT用語」です。

例えば、弁護士を例にとりますと、法律に関する専門知識とそれを文書に表現するための書面作成の技術、また、利益が対立する当事者との交渉技術、法廷において依頼者を弁護する弁論術などがこれに当たると言えるでしょう。

弁護士業はこのようなスキルセットがなければおぼつかず、一般的な弁護士(いわゆるマチ弁(街の弁護士))はまさにこのようなスキルセットで生計を立てていると言ってよいと思います。この意味で、弁護士はスキルセットの権化のような存在です。

もちろん、スキルセットで生計を立てているのはいわゆる士業だけではなく、例えばライターやプログラマー、営業マンなど、スキルセットを持ち合わせていなければまともに仕事はできない職種が大半と言えるのではないでしょうか。

 

このように、スキルセットで飯を食っている人種にとって、AIやロボットは脅威です。

自身が持つスキルセットがAIやロボットの発展により陳腐化されてしまえば、そのスキルセットが利益を生み出すことはなくなり、ひいては、そのスキルセットで生計を立てることができなくなるからです。

 

そして、そのような未来は目前にまで迫っています。

現時点では、知的生産・認知労働はまだまだAIよりも人間に分がありますが、現在のAIの急速な発達ぶりからするにその状況があと何年続くのかは定かではありません。

本書に述べられている通り、近い将来において、「テクノロジーは認知労働も供給しうる」ようになるわけであり、「私たちがテクノロジーによる代替が難しいと考えている知的な仕事、つまり認知労働についても、今や文章生成言語モデルGPT-3などが状況を一変させています。

仮にあなたが本を書こうとしているとして、ひたすらキーボードを叩き続ける時間が確保できないとしても、GPT-3に初動の構想と一連の動作さえ指示すれば、残りは仕上げてくれます。

まだ完全とは言えませんが、こうしたテクノロジーによる認知労働も労働の自動化を促進してくれる」というわけです。

 

ちなみに、GPT-3とは、イーロン・マスクらが共同で設立した人工知能を研究する非営利団体である「OpenAI」が2020年6月に発表した汎用言語AIである「GPT」の第三世代で、人間の文章と区別がつかない文章を作成するとして話題となっているものです。

 

このことを弁護士業に当てはめると、法律の知識については一人の人間の記憶力よりもデータベースのほうが優れており、また、我々弁護士が長い時間をかけて習得した法的三段論法に基づく法律文書の作成技術も、「GPT-3」のようなAIが弁護士のそれを上回る日が来れば、上述した従来の弁護士のスキルセットはAIに代替され、従来のスキルセットしか持たない弁護士は食いっぱぐれることになるかもしれません。

 

このように、自身が持つスキルセットがAIやロボットの発展により陳腐化してしまえば、自分はたちまち食いっぱぐれてしまう、という危惧のもと、AI脅威論が論じられるのですが、オードリー・タンは、この点について、「みんな安心していていい」と言うわけです。

ここで挙げられている例が、山登りです。

 

すなわち、「ロボットを山に登らせて、朝日が昇るぴったりの瞬間に素敵な写真を撮らせ、最速で戻ってこさせ」ることもできるが、「山登りを自動化して、自然との関りや自分の楽しみを壊してしまうことはしない」というのがその理由です。

この例をスキルセットの問題に敷衍すると、ある特定のスキルセットをAIやロボットで置き換えることができるようになったとしても、人間がそれをすることに別の付加価値がある場合には、その付加価値は支持され続けるため、そのスキルセットはなお利益を生み出し続ける、ということになりましょうか。

 

しかし、この説明には落とし穴があると言わざるを得ません。

山登りには、あえて人間がそれをすることに付加価値がある(自然と触れ合い、自らの足で歩いてリフレッシュする、登頂した際の達成感を味わう等)わけですが、例えば法律事務において、AIで代替可能にもかかわらず、あえて人間にそれを行わせることに付加価値は何ら存在しないのです。

そして、法律事務のみならず、AIで代替可能な多くの作業において、あえて人間にそれを行わせることに意味はありません。

 

しかし、オードリー・タンいわく、問題の本質はそこではないと言います。

いわく、「すべては、私たちがどこに価値を置くかによるという議論」だというわけです。

 

この仕事のこの技術こそ、自分である

それがプログラミングであれ、文章を書くことであれ、データ分析をすることであれ、何らかのスキルセットを重視している場合、ロボットは仕事を奪い去る敵となり、不安が生まれます。

自分の価値観をどこに置くか―それはスキルセットでいいのだろうか?

 

これまでの弁護士像は、あまた存在する法律について条文の解釈の知識を持ち、判例を理解し、そうした知識をもとに裁判所や相手方を説得するための書面を作成する技術、法廷で依頼者を弁護する弁論術を磨き上げたプロフェッショナルというものでした。

そして、そうした職人としての技術を切磋琢磨するのが弁護士の務めであり、その技術に優れた弁護士が称賛され、尊敬を集めてきたわけです。

私自身、一人前の弁護士として生計を立てていくことに人生の大半の時間を費やしてきたわけで、人生の大半をそのようにして過ごしてきたことが私の価値の重要な部分を占めている事実からは逃れようもないように思えます。

ここにおいて、弁護士という仕事の技術こそ、自分である、という思いは、弁護士なら誰でも持っているものと思われます。

しかし、そのスキルセットが陳腐化されてしまえば、我々弁護士は自分自身の価値を見失いかねない、これが本書の問題提起と言えます。

 

弁護士にとって、スキルセットから自由になることは容易ではないわけですが、他方で、オードリー・タンも、必ずしもスキルセットが持つ価値を否定しているわけではないはずです。

 

つまり、疑問が呈されているのは、従来のスキルセットにしがみついて変化を恐れること、自分にはこのスキルセットしかない、と思い込むことであり、そのような価値観に立てば、AIやロボットが「仕事を奪い去る敵」ということになるわけですが、それらに代替されないスキルセットを身につければ、それらに過度に不安を覚える必要はなくなります。

 

弁護士業で言えば、ある行為が○○法の何条にあたるのか、判例に照らしてどのような判決が導かれる公算が高いだろうか、など、法律事務において近い将来にAIに代替されるであろう作業は極めて多いと考えられますが、自身の知識や技術をその範囲にとどめず、AIを使いこなして問題解決の範囲をさらに広げ・深めることができれば、AIに代替されないスキルセットによって生計を立てることができるわけです。

このように、弁護士業を、例えば、「法律の知識を用いて依頼者の利益を守るサービス業」と捉えれば、依頼者の利益を守るための方法としてAIを柔軟に活用すればよく、何も従来のスキルセットにしがみつく必要はなくなります。

この場合、AIを使いこなせることが新たなスキルセットになっただけで、スキルセットを自分の主要な価値とみなしている点では何ら変わりはないのですが、少なくとも、AIやロボットに仕事を取られるという不安からは解き放たれます。

 

他方で、オードリー・タンの説く、「仕事から自由になる」というのは、おそらくその先にあるのだと思われます。

認知労働までもがAIやロボットによって行われることになれば、本当に一握りのクリエイティブな事柄だけを人間が行えばよいようになる。

そこでは、およそ作業・仕事というべきものはおよそAIやロボットが行い、もやは金のために働く必要すらなくなる、そういうことなのかもしれません・・・・・

 

徒然なるままにここまで書いてきましたが、結局、長い時間を費やして身につけたスキルセット以外の部分に自分自身の価値を見出すということは、すなわち、仕事以外の部分に人生の価値を見出すことと同義だと思われます。

それが出来たとき、「仕事から自由になる」ということが達成できるのでしょう。

 

もちろん、仕事こそが我が人生、と考えることも一つの価値観であり、オードリー・タンは、それを否定したいわけではないと思います。

しかし、多元的な見方をすることで、もっと「自由に」生きることができるはずだと。

 

以上、「スキルセットから自由になる」のパートについて取り上げましたが、オードリー・タンが本書において述べている内容は、いずれも旧来型の価値観を強く揺さぶるものであり、本書は、世界がどのような方向に向かおうとしているのかを端的に知る上で格好の書ということができます。

 

 

最後に、私個人としては、「弁護士であること」に自分の価値の源泉(よりどころ)を見出すのではなく(それはそれで一つの生き方だとは思いますが)、「法律の知識を使って多様な問題を解決すること」を目標とし、そのための新たなスキルセットを、従来の弁護士像に囚われることなく模索する必要があると感じております。

 

当事務所は、リーガルテックといった新規技術を積極的に取り入れ、より良い法的サービスの提供を目指す、という方向性でやっていきたいと思っております。

 

IT関連、IOT、ビッグデータ、ネットにまつわる問題等の比較的新しい問題も積極的に取り扱っておりますので、ご相談をお待ちしております。

 

長々とお付き合い頂き誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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